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市民誰もが入手できるIDカード・IDNYC

○米国における身分証明書
 公的な身分証明書には思った以上にお国柄が現れる。国が全国民にIDカードを発行し、携帯を義務付けている国もあれば、日本のように共通ID(マイナンバー)に基づくカードは存在するが取得は任意の国、以前は共通のIDカードが存在したが廃止した国もある。運転免許証やパスポートも含め、公的機関の発行した証明書が身分証明書として社会の中で公的・私的に利用されるのは概ね世界共通と考えられるが、証明書に電子的機能を持たせるか、官民どこまでのサービスで利用できることとするかといった点については、利便性の向上とプライバシー保護のバランスを取りながら、各国それぞれの形の発展がみられるところである(詳しくは当協会発行「自治体国際化フォーラム」2021年5月号 を参照いただきたい。)。
 米国では国民あるいは居住者に発行する共通のIDカードは存在せず、身分の証明が必要な場合は、運転免許証やパスポート等を用いるほか、住所の証明が必要な場合は宛先の入った公共料金の請求書などもある程度通用する。身分証明書が求められる場面は、一般的な手続きの場面に加え、一部のオフィスビル等は入館時に提示を求める場合がある(テロ対策と考えられる)。飛行機の搭乗時は国内線であっても必要であり、現在は運転免許証でも通用するが、2023年5月以降は運転免許証のうち搭乗時の身分証明用に使える種類が限定され1、それを有しない場合はパスポートや連邦政府の発行した身分証明書等で顔写真のあるものが必須となっている。もっとも、日常的に最も頻繁に身分証明書の提示を求められるのは酒類の購入の際である。筆者は21歳を大幅に上回っているので、”ID, please”と言われて見せる度に何とも微妙な空気が流れるが…。
 米国で最近IDが争点になったのは、一部の州で、選挙の投票時に身分証明書の提示を義務付ける制度改正を行い、これが人種差別ではないかと問題になったことである。本稿においてこのことの是非については立ち入らないが、少なくとも、この改正の前提として、全ての有権者が何らかの身分証明書を取得できることが不可欠と考えられ、いずれの州も無料のIDカードの発行を謳っている。ニューヨーク州において本件は論点となっていないが、「誰でも取得可能なIDカード」の例2として、ニューヨーク市が全ての市民を対象に発行しているIDNYCについて、実際に取りに行った経験も踏まえて述べる。

○IDNYCとは
 2015年1月に導入され、10歳以上のニューヨーク市民であれば、国籍やビザの種類にかかわらず申請が可能である。カードの記載事項は氏名、生年月日、住所、身長、瞳の色、署名、写真、有効期限、IDナンバー。さらに、選択的な記載事項として、性別、臓器提供の意思、緊急連絡先などがある。有効期限は5年間で、料金は2021年12月末までは無料とされている。

(カードのサンプル) ※NY市ウェブサイトより


 IDNYCを持つメリットは、顔写真及び住所の記載のある身分証明書として一般的に利用可能であるほか、市内の施設・店舗等での優待である。METやMoMAをはじめとする美術館・博物館等の1年間無料メンバーシップ、Citibike(シェアバイク)初年度15%オフ、ブルックリン・ネッツ(バスケットボール)のチケット割引、果てはコストコの商品券$20分など、大小様々な企業・団体が運営する施設・店舗等が対象に入っており、全部活用すると相当な額になりそうである。米国に来て以来、このような地域のビジネスを巻き込んだ枠組みづくりが本当に上手いと感心させられることが多い。また、社会的に意義が大きいのは、これまで様々な理由により身分証明書を持たなかった人たちが身分証明書を持てるようになることである。これにより銀行口座の開設が可能になり、小切手(当地では日常的に支払い手段として用いられる)に比べて各種給付の受給が格段に容易になることや、子どもの学校を訪れる際に用いることができる3等のメリットがある。

○IDNYCの申請
 初回申請は、本人確認のため窓口に赴く必要がある(更新はオンラインのみで手続きが可能。)。新型コロナウイルスの影響のため窓口対応は長らく停止されていたが、本年7月に再開し、現在は予約制となっている。予約の枠は決して多くはなく、現在(2021.8)は概ね1か月先になる。予約自体はウェブサイトから簡単に取ることができる。
 申請に必要な本人確認書類、この点が日本との最大の違いである。日本の場合、全ての住民が居住する市町村の住民基本台帳に登録されており、住民票の写しの交付を受けることにより、自らの身分と住所を1枚で証明することが可能であるが、米国にこのような仕組みはない。従って、身分と住所を表し得る様々な書類を組み合わせて対応することになる。ルールは以下の通りである。

 1.少なくとも4ポイント分の書類が必要である。
  うち3ポイントは身分を証明する書類による
  うち1ポイントは住所を証明する書類による
 2.書類のうち少なくとも1点は申請者の顔写真のあるものでなければならない(保護者同伴の場合を除く)。
 3.書類のうち少なくとも1点は生年月日が記載されているものでなければならない。

 利用可能な証明書類及びそれぞれのポイントは多岐にわたるため以下のリンクを参照されたいが(https://www1.nyc.gov/site/idnyc/card/documentation.page)、運転免許証やパスポートの他、ビザ・グリーンカード、出生証明書、士業の証明書、学生証・卒業証明書、海外の運転免許証、外国政府の発行したIDカードなど、様々なものが利用可能である(外国語で書かれたものも最大限対応する旨Q&Aにおいて記載がある。)。また、住所の証明書類としては前述のとおり公共料金の請求書や、不動産の契約書、政府機関等からのレターなどが利用可能であるが、配偶者名義のものしかない場合は、婚姻又はパートナーシップの証明書を提出することにより利用可能となる。
 これをみる限り、既に何らかの身分証明書を保有している者にとってはさほど難しくなさそうだが、そうでない場合はそれなりにハードルが高そうである。一方で、ホームレスやDV被害者等身分や住所を証明する書類を揃えるのが困難な事情がある者に対しても発行することを謳っており、そのような場合の特別な配慮はあるようである。

○実際の申請
 申請はロウワーマンハッタンのシティホール(市役所)から数ブロック南側にある、ニューヨーク市の各種窓口業務が集まったビルに赴いて行った。到着するとまず総合窓口があり、手続ごとに整理券が発行されて、自分の番号が呼ばれたら窓口に向かうのは日本の市役所とよく似た風景であるが、前述のとおり現在は予約制となっていることから待合室は閑散としており、整理券は実質不要であった。窓口でまず身分証明書を提示して、申請書を受け取り、記載して提出する。しばらく待つと名前を呼ばれ、紙で提出したものをスキャンしたのか係員が打ち込んだのかは明らかではないが、ともかく手書きしたのと同じ内容が打ち出された紙を渡されて、内容の確認を求められる。また、本人確認のため、氏名、住所、生年月日を尋ねられる。最後に署名と写真撮影をしてこの日は終了である。不備がなければ、2,3週間後を目途に郵送でカードが届く。

(マンハッタン地区の窓口業務が集約されたManhattan Business Center)

(閑散とした待合室)

(IDNYCの申請窓口)

(申請用紙)

○これまでの成果
 身分証明書が求められる場面が今後増えることはあっても減ることは想定しづらい。そのような現状に鑑みても、市民誰もが手に入れられる身分証明の手段を用意しておく重要性は高まっている一方で、虚偽やなりすましによる申請を防ぐため本人確認等を厳密に行おうとすると、これまで身分証明書を持たない者にとってはハードルの高い仕組みとなってしまう。このような難しいバランスの中で、IDNYCは申請の際に相当多様な書類を使用可能として認めるとともに、事情のある者には個別にそれを斟酌する対応も取ることで、身分証明の手段の付与という目的を果たそうとしているものである。
 IDNYCはこれまでに140万枚発行されている(7月13日時点 )。このうち元々身分証明書を持っていなかった人に対して何枚発行されているのかは明らかではないが、運転免許証やパスポートのように何らかの目的と費用負担なしに発行される身分証明書を用意したという点には大いに意義があり、行政サービスを必要とする人のサービスへのアクセスを格段に改善し得るものとしてさらなる発展が期待される。

 
【脚注】

1 Real IDと呼ばれるもの。2001年に発生した9.11テロを受けて、飛行機の搭乗時や連邦機関のビルに立ち入る際に提示する身分証明書のうち州が発行するものの発行要件を統一するReal ID Actが2005年に成立したが、各州との調整が難航し、施行が何度か延期になった上で、現時点では2023年5月3日施行とされているものである。

2 ニューヨーク市内で誰でも取得可能な身分証明書としては、IDNYCのほか、Non-driver ID cardという免許を持たない人のための身分証明書が存在する。ただし発行料金が数ドルかかる。

3 学校の敷地内に立ち入る際には身分証明書の提示が求められる。身分証明書を提示できない場合は保護者であっても立ち入りが認められない。