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福島・山木屋太鼓の映画を撮る元JETプログラム参加者の思い

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ダリル・ワートンリグビーさん(2005-07年福島県JET)は、メリーランド州ボルチモア出身の劇作家、詩人、大学教授、そして映画製作者です。NBC、MTV、BETのために脚本を書いたこともあります。彼はメリーランド州立大学モルガン校の映画シナリオ・アニメーション学科で教鞭をとっており、現在は3冊の本を執筆中です。結婚して3人の子供を持ち、ボルチモア、ロサンゼルス、日本を飛び回っています。

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2005年から2007年までJETプログラムに参加して福島県川俣町で英語を教えている間、ワートンリグビーさんは地元で活動する山木屋太鼓のグループを紹介され、すぐにその活動に加わることになりました。彼は2006年に山木屋太鼓の映画を撮り始めましたが、2011年の津波と福島第一原発事故の後、山木屋太鼓のメンバーの人々が避難生活を余儀なくされたことに触発され、映画を撮り続けることを決意しました。

そのドキュメンタリー映画「ドンドコドン:山木屋太鼓クラブプロジェクト」(Don Doko Don: The Yamakiya Taiko Drum Club Project)について、ワートンリグビーさんはこう語っています。「これは本当に今までで一番大きなプロジェクトです。自分の旅(訳注:JETプログラム)によって、自分がこのように国際的、かつ様々な面で大いに個人的なプロジェクトに導かれるとは想像だにしていませんでした。」 映画の脚本家、監督、そしてプロデューサーとして、必要な資金集めをするため、彼は7月11日を締切日として野心的なキックスターター・キャンペーンを開始しました。(注)

JQ誌はこの独占インタビューで、ワートンリグビーさんから、この映画の起源、被災したコミュニティにおける山木屋太鼓の存在感、そして山木屋太鼓のこれまでの国際公演について話を聞きました。

山木屋太鼓クラブについてお話ください。どうやってクラブのことを知ったのですか。

私が川俣町でJETだったとき、山中にある山木屋地区の小学校、中学校そして幼稚園に英語を教えに行かなければなりませんでした。そのとき、学校職員で山木屋小学校グループのリーダーだったエンドウ・メグミさんに会ったのです。山木屋太鼓クラブに招待してくれて、私はそれではまりました。太鼓の音と力強さが大好きでした。山木屋太鼓クラブには3つのチームがあります。ひとつは初心者の児童生徒が参加する「鼓魂(こだま)」、中級者の生徒が参加する「朱雀(すざく)」、そして経験豊かなメンバーによる「山猿(やまざる)」です。私は鼓魂の子供たちと一緒に練習しました。

ドキュメンタリー映画を撮ろうと思ったのはどういうきっかけからですか。

指の骨を折ってから撮影を始めました。太鼓を叩くことはできませんでしたが、それでもグループと交流を続けたかったのです。JETプログラムに参加する前、私は映画を学んでいました。だからカメラを引っ張りだして、グループの様子を撮り始めたのです。リハーサル、本番の演奏、会議、バス旅行の様子などを撮りました。グループのリーダーだったエンドウ・ゲンキさんについていくこともしました。メグミさんは、グループのドキュメンタリーができるのは素晴らしいことだ、と言っていました。私も同感でした。彼女が太鼓の基本的な音である「ドンドコドン」というタイトルを思いついたのです。何年もかけて私は80時間以上の映像を集めました。そして日本に戻るときは、いつも山木屋地区を訪れ、カメラを持って行ってさらに映像を撮ったのです。

どうしてこの物語を世界の人々と共有することが大事だと思うのですか。

2011年3月11日の震災の後、山木屋地区が高い放射線量のために避難区域になったと知った時、私は胸が痛みました。こんなことが本当に、私の敬愛するコミュニティとそこに住む人々に起こっているのだ、とは理解できませんでした。それから、私は、そうした状況にもかかわらず、グループが一緒に練習と演奏を続けていることを知りました。そこには語られるべき物語があると思ったのです。これは、コミュニティの立ち直る力、危機に際してコミュニティがいかに一体となるのか、ということについての物語です。我々人間の共通の経験についての物語なのです。また、幾ばくかは私自身の個人的な物語でもあります。私の家族は今でも福島に住んでいますから。

グループが日米桜寄贈100周年記念行事に際してワシントンDCに行くことになった経緯を教えて下さい。

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川俣町の私の先輩、ミシェル・スペザカティナさん(2003-05年福島県JET)と私でグループをワシントンDCの桜まつりに連れてくることを思いついたのです。今年は日本がアメリカに桜を贈って100周年でしたから、福島を代表するグループを招待するには理想的なタイミングだと思いました。ワシントン日米協会、米日カウンシルのTomodachiイニシアチブ、アメリカン航空、そして川俣町出身のシゲコ・ボークさんのような一般市民の方、その他たくさんの人達の努力があってこの旅が実現したのです。

首都ワシントンDC、ケネディ・センターでの公演、ホームステイ、その他旅行に関する生徒たちの反応など、特筆すべきことがあったら教えて下さい。

10日間の旅行は最高におもしろかったです。いくつものハイライトがありました。ボルチモア滞在中は、山木屋太鼓クラブはオリオールズの野球を観戦しました。国立水族館にも行きました。また、日本の駐米大使である藤崎大使御夫妻や、エスター・クーパースミス元大使などの高官にも面会しました。ケネディ・センターでの公演では、2回もスタンディング・オベーションがあり、アンコール演奏が行われました。クリスティ・ヤマグチさんや、デイリー・ショーというコメディ番組に出演するジェイソン・ジョーンズさんやといった有名人にも会っています。グループはセントポールズ中等教育学校(中高一貫校)、セントポールズ女子中等教育学校との交流で二泊のホームステイもしました。一番覚えているのはイツキくんのことで、彼は13歳だったのですが、最初はホームステイを怖がっていました。一晩経ってみると彼はもう帰りたい様子でした。しかし、二晩目の後は、めちゃめちゃ楽しかったと言っていました。旅行で一番楽しかったのは何だったかと尋ねると、ホームステイだったと言っています。もう一つ、この旅行から生まれた素敵な出来事は、ワタナベ・リカさんがアメリカに着いたとき、ステーキが食べたい、それとジョニー・デップに会いたい、と言ったことがニュースで報道されたことから生まれました。彼女は旅行中にステーキを食べました。そして日本に帰ってから二週間後、彼女は、ジョニー・デップから、映画ダーク・シャドウズの東京プレミアに招待されたのです。リカさんと親友のレナさん、そしてメグミさんは東京まで行って、ジョニー・デップだけでなくティム・バートンにも会いました。

キックスターターによる資金集めキャンペーン以外に、プロジェクトに協力する方法はありますか。

本当に、このドキュメンタリーを完成させるため、このキャンペーンに協力してほしいと思っています。サンダンス映画祭の出品にカット(最終編集前の全体版)を間に合わせたいと思っています。この話を友人、家族にも伝えていただき、情報を広めてください。これは本当に特別な若者たちのグループなのです。山木屋太鼓クラブはひとつの物語に過ぎません。他にもたくさんの物語があります。日本に戻って時間があったら、被災地の復興のためにボランティアをしてください。

※この記事は、JETAANYのウェブ機関紙JQ Magazineに2012年7月8日に掲載された記事の一部を許可を得て翻訳したものです。原文はこちらを御覧ください。

また、キックスターターによる寄附金集めについてはこちらを御覧ください。(7月11日までに目標額が達成されました。)

2012年7月25日

翻訳 上席調査役 川崎穂高